かつて弥生丸にはミステリー作家を目指していた時期があった。約五年間毎日小説を書き続け、得た結果といえば、たった一度、某文学賞で一次選考を通過しただけ。まさに芽の出ない状況だった。
作家を目指していた時期は、とにかく毎日が辛かった。搾れど搾れど出てこないネタ。拙い文章力に表現力。諦めてからは、随分生活が楽になったように思う。不思議なことに、諦めた方が生活が充実している。夢を追うのをやめた時点で、不甲斐ない自分に自己嫌悪するものばかりだと思っていた。
作家、という夢を諦めてから頭角を表してきたのが、なにを隠そう麻雀だった。麻雀格闘倶楽部のカードをモバゲーで仲良くなった友人に譲ってからは、麻雀から離れていた。しかしここ最近、麻雀というゲームが持つ奥深さに再び取り付かれようとしている。たった一打で勝敗が決まる。まさに紙一重の勝負。楽しくって仕方がない。麻雀を仕事にできたらいいな、と漠然と考えている。とはいえ自分にプロになるような力量がないことはわかっているし、なろうとも思わない。間接的に麻雀に関わってゆくのが、いまのところ私の幸せだ。
ということで最近、麻雀に関する書籍を読み漁っている。漫画から小説まで様々だが、ここで紹介するのは天牌だ。わりとまともな麻雀漫画ではないかと思う。
この天牌によく出てくる台詞が「牌の流れを感じ取るんだ」という言葉である。麻雀には正着がある。しかし状況により、常に正着が正しいとは限らないというのだ。例えば牌のよりがピンズだと思えばピンズを伸ばす。伸びないと判断したなら、たとえ多面待ちの色でも外す。トイツ場かジュンツ場かということはわかりやすいのではないかと思う。
こんなことばかりいう麻雀漫画を読んでいると、当然の如く、流れを意識してしまうことになる。ロン2で実践していると、はっきり言ってわけがわからなくなる。ピンズに流れはない!と漫画のキャラクターばりに判断してピンズのターツを外すと引いてくる。そして場に高い色を外すと、リーチが飛んできた時に回し打ちすることはもはや不可能である。当たり前だが漫画のように上手くはいかない。やっぱり搾って打った方がいいのかなぁと思ってくる。下家に鳴かれたくもない。しかし場に高い牌を切り落とし、安い色で先制リーチをかけられたら最高だ。攻撃的にいくか防御的にいくか、迷いはいまでも尽きない。やはは
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